赤石岳と荒川三山

 

 

日  程:2002年7月25日(木)〜29日(月)

メンバー:川上 岳彦(単独)

 38年間勤めた会社を退職して、浪人生活中の身であり、若いころから一度行ってみたいと思っていた南 アルプスへ行くことにした。
 昔は北アルプスに比べ、アプローチが長く、しかも登山道も整備されていないので、渡渉をしながら沢を遡 行するイメージがあり、仕事に追われて登山日数に限りがあったこともあって、敬遠していた。
  しかし、今回は日数はいくらでもあるし、ダムのおかげで道が整備されており、最近は百名山ブームで登 山者も多く、登り易くなっているので、南アルプス全山縦走をしてみたいと思った。
  しかし、体力を考えて南アルプス(赤石山脈)の盟主赤石岳を中心に南部へ行くことにした。
  この文は、そのときの山日記であるが、山の楽しさ、美しさを感じていただければ幸いです。

 

7月25日(木)

 近鉄奈良6:45発の急行で京都へ、静岡停車の7:50発ヒカリ号は満席で指定席が取れなかったので、自由席乗車のため、ホームに並んだ。
  ホームではサラリーマン風の男達がトヨタの会議とかホンダとかしゃべりながら乗車を待っていた。
  昔はこれに乗って東京へ出張したものだが、ウィークディにこんな格好でここにいるのが複雑な気持ちになってきた。
  気持ちを取り直してキオスクで発泡酒を買い、胃袋を満たした。
  やがて、列車がホームに入り5号車に乗り込んだ。あいにく満席で名古屋まで立つことを余儀なくされた。
  先の台風で長良川が氾濫し、地盤がゆるいため、列車が徐行し、名古屋に3分遅れて到着した。名古屋で下車する人が多く、幸い名古屋から座れた。
このところの暑さで寝不足のため、うつらうつらしていた。
  ふと、若いころ上高地へ行って雨が降ると、バスが不通になり、足止めされて帰るのが遅くなった事がよくあったが、それを思い出した。
  今の上高地は道路が整備され、そんなことはないが、南アルプスは帰れないこともあるのではないかとの思いがよぎったが、どうせ暇人であり、気にする事はない。
 列車は遅れを取り戻し、定刻に静岡に着いた。
  ホームではリュックサックを背負った人が4〜5人いたが、登山者は少ない。
  畑薙第一ダム行きのバス乗り場に行くと、全面運休の看板が張り出されていた。
ショック。さあどうしようか。このバス以外に行く方法があるのか。
 バスの案内所を探して聞いたところ、先の台風で道路が崩壊し、バスは不通になっている。
  代替交通機関としてはタクシーか、JRから乗り継いで大井川鉄道で千頭まで行き、そこからタクシーで行くしかないとの事であった。
 1 万円使って静岡まで来て、そのまま帰るのはいやだし、山へ行くのにタクシーだと2万円ぐらいかかるので、これも負担が大きい。
  あーあ事前に調べておけばよかった。7月始めに聞いたとき予約の必要がないと聞いたので、直前には確認しなかったが、やはり確認すべきであった。
  さっきのパーティはどこへ行ったのか 。
  困っていたところ、荒川3山・赤石から聖へ行くという夫婦連れがいたので、タクシー相乗りで行く事にした。
  タクシー乗り場で料金を聞くと中型で2万4〜5千円、小型で1万9千円とのことであった。
  3人だから当然小型に乗って出発した。
  タクシーで2時間。途中すれ違いが出来ない細い道を通ってようやく、畑薙第一ダムに着いた。
  駐車場にはマイカーがたくさん駐車しており、最近の登山はどこもマイカー利用が多くなっている。
  そうするともう一台タクシーが着いた。
  聞くと8時半頃に静岡に着き、登山者を探したがいなかったので、大井川鉄道を経由して来た東京の女性単独行者であった。
  それでもタクシー代が1万円かかったとか。
  ここから12:30発の東海フォレスト送迎バスに乗る事約1時間で、ようやく登山基地のサワラ島についた。(この送迎バスを利用できるのは東海フォレストが経営する山小屋等を1泊2食以上利用する人のみ)乗客はこの4人のみであった。
  昨年は登山者が多く、送迎バスはピストン輸送であったそうだがが、道路崩壊で今年は登山者が少ないようである。
  サワラ島ロッジの夕食は早く、5時からである。夕食テーブルは同部屋の甲府から車で来た男性(65歳)、若い30歳前後の神奈川から来た男性、大井川経由の女性単独行者、それに京都城陽から来た中年女性であった。
  翌日の予定は甲府人が千枚岳経由で荒川小屋をめざし、神奈川人は赤石岳経由百間洞まで、東京人の女性は千枚小屋へ行くとのことであった。
  城陽の女性は夫婦で100名山を登っており、現在ご主人は70山、本人は55山登ったそうだ。
  今回、ご主人が聖から赤石・荒川3山・千枚岳を登っているが、本人は膝を痛めているのでこのサワラジマで待っているようだ。
  東京の女性はご主人と上高地へ行った時、ご主人が山鳩を見てライチョウだと言って騒ぎ、恥をかいたと言っていたので、あまり山好きな亭主ではないようだ。
  神奈川人は何回も南アルプスに来ているのかこのコースに詳しく、赤石避難小屋まで行くことを勧められた。
  台風の余波で時々雨が降っていたが、台風は南海上を西進し、九州方面へそれるようだ。明日は朝が早いので、風呂に入って19時過ぎに就寝。


7月26日(金)

  同室の甲府の男性は荒川小屋を目指すため、3時に出発した。
  5時に朝食を摂り、5時半に赤石岳目指して出発した。
  林道から鉄の階段を上り、登行を開始した。登山道は樹林帯の急登でジグザグに登っていく。
  樹林帯のため、景色は何も見えず、ただひたすらに登るのみである。
  焦ってもしかたがないので、ゆっくりゆっくり登っていった。
  途中で休憩中に足もとを見ると、きのこが出ていたので、足で蹴飛ばしたが、「しめじ」ではないかと思い、拾ってビニール袋に入れてザックにしまった。
  登ること3時間余、見晴らしの良いところがあり、富士山が美しかった。富士山がこんなに近いんだと今更ながら認識を新たにした。
  11時過ぎ前方に小屋が見えてきた。赤石小屋だ。
  中に入って見ると、無人小屋であった。昨日、食べ残した握り飯と行動食で昼食をとり、頂上の避難小屋を目指すことにした。
  この先に水場があるが、念のためポリタンに水を満タンにして出発した。すぐに営業中の赤石小屋があったが素通りして、頂上を目指した。
  しばらく歩いていると、突然後ろに競泳用の水中眼鏡みたいなサングラスして、軽装で地下足袋姿の女性が現れた。
  何者かと思って、「今日は下山する人に10人ぐらい会ったが、登って来た人にあったのは初めてだ」と言い、聞くと「赤石小屋の従業員だ」と言う。
  「東海フォレストの社員か」と聞くと「ただの山好きよ」と答える。
  「いいなあ女性は働く場があって、僕なんか失業中だけどアルバイトできないか」と言うと「何か取り柄があったら、来年は雇ってもらえるよと思うよ」と言われた。
  「このルートは下山に使う人が多いが、自分は下りで膝を痛めるので、この急登ルートを登っている」と言うと、「それが正解。千枚からの下りはダラダラだから」と言った。
  「この先に水場があるよ!」と言って消えていった。
  またしばらく歩いていると小さな沢があって水が流れていたので、休憩することにした。
  ポリタンはイッパイなので、カップに水を溜めて喉を潤した。しばらく休憩して出発すると、またさっきの女性が現れた。
  「もう、頂上小屋まで行ってきたのですか」と聞くと、「水場で水浴びをしてきた」との答えであった。
  「もう少し上に沢があって水流は多い」と言って、降りていった。
  あれは女天狗であったのか。
  少し登ると沢があり、水場があった。
  またここでも休むことにした。あーあ疲れた。
  カメラ3台、3脚2台持って、標高差2000メートル(サワラジマ1120米、赤石岳3120米)を一気に登行するのはかなりきつい。
  もうこの頃になるとかなりバテ気味で、何回も休憩しながら、ようやく16時頃に赤石岳頂上に着いた。
  さすが南アルプス(=赤石山脈)の盟主であり、すばらしい眺望である。避難小屋はすぐ下にある。
  小屋は避難小屋とはいえ小屋番が居り、建物が奇麗で発電機もある。
  なんと言ってもビールを売っている。
  まずビールで喉を潤して、後は担ぎ上げたウィスキーをキリンレモンで割ってチビチビやることにした。  宿泊費は3500円プラス寝具1000円なので、担ぎ上げたシュラフカバーで我慢することにした。
  食事は担ぎ上げたすき焼きどんぶりと若芽スープだ。
  それに今日採った「しめじ」がある。
  「しめじ」は本物かどうか鑑定が必要なので、小屋番のお兄ちゃんに見て貰おうと思い、地元の人かと尋ねたら、まあ地元だと言う。
  まあ地元とはなんだと聞くと、今、浜松で、生まれは奈良だそうだ。
  この人の鑑定は頼りにならないが、匂いはしめじだと言う。
  この避難小屋で3泊している男もたぶん大丈夫だろうとのことで、若芽スープにこのきのこを入れて煮た。
  生命保険入っているかとか、ヘリコプターが夜は飛べないとか言われながら、食べると結構おいしかった。
  家に連絡するため、携帯電話が掛かるか聞いたところ、頂上付近はダメだが、少し離れたコル上は長野の電波をとらえ、時々通話出来るとのことであった。そのコルまで行き、発信したが掛かったり、かからなかったり、である。
  家と非常時連絡先として届け出しているR山岳会のSさんに赤石岳山頂にいることを伝えるため電話した。
  Sさんの家に電話したら、Sさんか奥さんが電話に出るものと思っていたが、息子さんが出て話がちぐはぐになってしまった。
  考えてみれば、お互いにいいおっさんになっているんだもんなあ。自分に孫がいるのだからSさんに大人の息子さんがいて当たり前だと気付いた。
  もう明日から電話は家だけにしよう。
  富士山・荒川3山が真っ赤になる夕焼けを期待したが、あまりいい夕焼けにはなりそうになかったので写真撮影はあきらめた。
  今日でこの小屋に3泊している男は蛇腹式の6×12カメラを持っており、ブローニーフィルムで6枚しか撮れないそうだ。
  僕の中判カメラは2台とも同じフィルムで16枚撮れるのに、だ。面積で2.67倍あるから引き伸ばした時の鮮明度は抜群だろう。
  同氏は今朝の朝焼けはすばらしかった。と言っていたが、夕焼けは僕同様撮りに行く気配はなかった。 突然夕焼けが現れたので、アルコールが回って少しふらつきながら、山小屋前で1カットだけシャッターを押した。
  もう一人35ミリ一眼レフカメラを持った男は赤石岳頂上でシャッターを押していた。明日の日の出は4時45分頃なので早く寝ることにした。宿泊者は写真3人と他に約4名。(40人泊れる)夜はだいぶ冷え込んだ。

 ウールのシャツにセーター・ウインドヤッケと着込んでいた為、上半身は良かったが、下半身はウールではあるが夏用の薄いニッカボッカとストッキングだったので、薄いナイロン布のシュラフカバーでは足が寒くて、あまりよく眠れなかった。
  千円の節約が悔やまれる。明日は寝具を借りよう。

7月27日(土)

 朝3時頃から時計を見ながら、後30分、もう15分とか思いながら4時前にシュラフから出て、カメラと3脚を持って頂上に向かった。
  月光が明るく、星空は目立たなかった。3脚にカメラをセットし終えたころ、ようやく東の空が赤くなりはじめ富士山の左からご来光である。
  上空に絹積雲があれば鮮やかな朝焼けになるのに、絹層雲が出ているので、シャキっとしない朝焼けであった。カメラを替えたり、フィルターを替えたりしながら、富士山の朝焼けを撮った。

 太陽が上がってくれば悪沢岳始め荒川3山が赤く染まるのを期待したが、雲が邪魔して光が弱く、期待どおり赤くならなかったので、撮影を終えた。
  小屋に戻ってお茶を沸かし、朝食をして一番最後に小屋を出発した。

 今日は稜線歩きで、荒川中岳避難小屋までの行程なので、写真を撮りながらノンビリ行くことにした。
  とは言っても3100米から荒川小屋のある2600米まで降りて、避難小屋のある中岳(3083米)まで登らなくてはならない。
  途中、小赤石岳(3081米)を越えたところで写真を撮っていたところ、タクシーで一緒であった夫婦と再会した。
  赤石岳を越えて聖まで行くので、無事を祈って見送った。
  サワラジマロッジの同室で3時に出発した男性とはまだすれ違わないが、昨日荒川小屋で泊まっておれば、もうすれ違うころだ。
  赤石小屋で朝食中にもう行ってしまったのだろうか。

  小赤石岳を降りて、チングルマの群生があったので、カメラを構え、向こうの登山道に人が来るのを待った。
  待つこと20分。人が来ないのであきらめて人なしの写真を撮り、荒川小屋に向かった。
  歩きはじめて10分ぐらいすると、人が来た。もう少し待てば良かった。
 
荒川小屋でようやく甲府の男性と再会した。
  昨日は千枚小屋までしか行けなくて、今朝千枚小屋を出発して来たとのことであった。あの3時出発は何だったのか。
  本人は年齢(65歳ぐらい)による体力の衰えを痛感したと言い訳しきり。

 ここでビールを買い、持ってきたサラミソーセージとみかんで昼食とした。
  小屋で上の水場を確認し、ここでは水の補給をせずに出発した。
  いよいよ本日の最後の登り、標高差500米を頑張れば避難小屋に着く。途中のお花畑が大変美しいようだ。
  出発してすぐ東京の女性単独行と再会し、お互いの元気を称えあった。とはいうものの背中の荷物は大変重い。
 
途中、水場で補給し、大休憩し、ゆっくりと出発した。
  水場からヨタヨタ登っていくと、ようやくお花畑が現れた。
  実にすばらしいお花畑だ。
  日本で5本の指に入ると思われる位、実にすばらしい景観だ。
  稜線から谷底まで黄色や白いお花で埋まっていると言っても過言ではない。
  ここで又休憩し、写真を撮った。14時ごろようやく中岳避難小屋に着いた

7月28日(日)

  4時に起きて中岳頂上へ行き、カメラをセットして、朝焼けの写真を撮った。
 
昨日同様奇麗には焼けなかった。
  槍・穂高岳方面はシャキっと見えるのに、南東方面はボヤーとしている。
  全般的に霞がかかったみたいだ.この地区は駿河湾に近く、黒潮で水蒸気が上がりやすいのかと思った。
  小屋に戻ってカップラーメンを食べて、出発した。
  また、最後の出達者である。

 今日、復旧予定であった道路が新たな崩落が発生し、復旧は8月10日頃に延期となった。
 予定を変更して三伏峠へ向かうことも考えたが、途中で事故があったら、捜索されないかもしれないので、予定通り悪沢岳に向かった。
  帰りはヒッチハイクで行くしかない。
  悪沢岳は南アルプス南部の最高峰。
  いい眺めだ。富士・赤石・塩見・間の岳がすばらしい。
  ここでしばらく休んで、下山についた。途中ライチョウ親子5羽が登山道をヨチヨチ歩いているのをカメラで追いかけている人がいた。
  同行の人が、追いかけるから逃げるんだ。止まって撮らないとだめだとどなっていた。
  ライチョウと擦れ違って少し行くと、向こうから20人の団体がやってきた。
  昨日、千枚小屋に20人の団体が泊っていることを聞いていたので、悪沢岳の登りで遭遇したらどないしょうと思っていたが、ここでよかった。待っていると向こうから行って下さいと言って、道を開けてくれた。
  山では転落者以外は登り優先で、下りが待つのがマナーであるが、この人たちは列が長いので譲ってくれたのである。
  丸山は名前通り丸い山である。3000米を超える山でこんなに丸い山は珍しいのではないか。
  北アルプスではこんな山はないように思う。南は森林限界が高く、雪も少ないせいかなあ。
  その昔氷河時代にも影響はなかったのかなあ。
  千枚岳で赤石・荒川3山との眺望を見納め、千枚小屋に向かった。
  千枚小屋からは富士山の眺望はすばらしいが、あとの山は見えない。
  この山域の山小屋は全て富士山が見え、かつ水場のあるところに建てられている。時間は11時過ぎであったので、発泡酒とサラミソーセージで昼食とした。
  350ミリ缶ビールと500ミリ発泡酒は同価格なので発泡酒を選んだ。
  後から降りてきた人も同じであった。
  千枚小屋で泊ると朝富士の写真が撮れるが、足の確保が難しいし、千枚小屋は車で、朝畑薙ダムまで来た人が初日に宿泊する小屋でもあり、混雑し、写真のポイントの取り合いにもなるので、帰宅を優先して、下山することにした。
  もう一人は富士山の朝焼けをみるため、泊ることにしたようだ。だらだら坂をどんどん下って、林道に出たので、もう着いた気分になった。
  この林道を横切って、しばらく行くと登山道が通行止めになっており、迂回路を通るようになっていた。
  その迂回路はどんどん登り、1400米のピークまで登って降り、疲れがどっと出てきた。
  今日もヨタヨタしながら最後を締めくくることになってしまった。1400米ピークから沢沿いまで降りると、本来の登山道が崖崩れで通行不能となっていた。
  これで1時間ぐらいロスしたようだ。
  サワラジマロッジに着いたのが5時頃で、もう夕食の時間であったが、先に風呂に入る了解を得て、風呂に入ってさっぱりした。
  大阪から車で来た2人と同部屋となり、明日は温泉に入って、京都まで送ってくれることになった。
  2人は畑薙ダムに車を置いて、一人は聖岳、車の持ち主は千枚岳から入山し、赤石岳で合流して、サワラジマに降りてきたそうだ。
  車の持ち主はおもいやりのある親切な人物であり、助かった。
  自分は大井川鉄道のどこかの駅まで送って貰えればバン万歳と思っていたのに京都まで送ってもらえるのは本当に有り難いと思った。
 

7月29日(月)

 夜中に雷が鳴って、大雨が降り、窓の外に干していた洗濯物を慌てて取り込んだ。
  朝5時朝食の案内が放送されたが、一番バスは8時のため、急ぐことはないと、ゆっくりしていた。
  5時半に再度案内があり、食堂へ行ったところ、女の人は親切だったが、お兄ちゃん(これが責任者かな?)が「時間を守ってくれないと困る。」と文句を言われた。
  たった30分後に来ただけなのにこれはなんだ。
  お客様意識はないのか。それもそのハズ、ここは東海フォレストの独占なのだ。この地域一帯は長野・山梨県境まで親会社の東海パルプの所有地で、他の業者は入れないのだ。
  一番バスは8時だが、6時半にダムに迎えに行くので、希望者は乗せてくれると放送があった。
  それで帰ることにし、一転忙しくなった。
  身支度を整え、バス乗り場に行ったところ、昨夜の雨で土砂崩れがあり、道路が塞がれており、土砂を除いているので、出発は遅れるとのことであった。
  結局1時間遅れて7時半に出発した。入山時は気付かなかったがすごいところに道路が作られていた。
  片側は大井川の渓谷で川底まで100米以上あり片方は沢が滝のように落ちている。
  一般車乗り入れ禁止の理由が判ったような気がする。それにしてもダムのおかげで林道が作られ、こうして簡単に山に来れるので、ダムがなかったら、何日もかけて川を遡行しないと登れないように思った。
  畑薙第一ダムで大阪の気働き男様のマイカーに乗り換えて温泉を目指した。
  ダムから一番近い温泉に行くとまだ早すぎて、営業していなかった。
  本川根町の接岨キョウ温泉を目指した。ところがルートを取り違え、静岡市(市街)に向かったようである。(尤もサワラジマも静岡市)山深いところ、道は細いし民家はない。
  しかし県道南アルプス線だからとにかく前へ進んだ。行けども、行けども山の中、歩いて道を間違えると引き返すのはいややが、車なら簡単だとかいいながら、進んだ。
  ようやく民家のところに出ると郵便配達のおっちゃんと出会った。
  道を聞くとあと1時間直進すれば静岡に着くとのことであった。
  今更引き返す訳にも行かないので直進することにした。
  どうやら右折するべきところ気付かず一本先を右折したため、このルートになったようだ。しばらく行くと「湯ノ島温泉」の表示があり、そこへ行くことにした。
  静岡市営の温泉浴場は休憩室もあり、奇麗な温泉で、500円で入浴できた。
  またお茶がおいしかった。さすが本場だ。
  また食堂では地場の蕎麦粉を使った、天ざるが600円、大盛り700円と安く、しかも手打ちだから、非常にうまかった。
  道を間違えて、結果オーライであった。温泉を出て、1号線バイパスを通って掛川から東名高速に入り、京都南のインターで降り竹田駅まで送って戴いた。
  新幹線代も助かったのだから、7000円支払う(高速代6600円)と言ったが先方は3人で割った2200円で良いとの事で受け取らず、結局3000円支払って下車した。
  世の中には奇特な人もいるもんだ。本当に有り難がたい。
  大阪の人よ!ありがとう。竹田から京都に出て、JRで木津まで行き、木津に迎えにきてもらい家に帰った。
 
  今回はいろいろハプニングに遭ったが、楽しい山行であったので、日記風に長々とまとめた。
  会社を辞めて2回目の山行であったが、時間に余裕があるため、いろいろな人と話し、交流して、実に意義ある山行であった。
  5月下旬に行った1週間の穂高岳登山を思い出す。
  昔谷川岳で岩場の先陣争いをしていた群馬の70歳になる登山家との谷川岳の話とか絵の上手な人で八ヶ岳山麓に別荘を持った学校の先生か労働組合の役員らしき人との有事立法・郵政民営化の論戦等懐かしいかぎりだ。
  いずれも一期一会、どこの誰かは知りませんが、皆様のご多幸をお祈りします。                                     以上

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