私の中陰                
                               はやみとせ三年過ぎにし方に遠花火

 「日にち薬」と言う言葉をご存知だろうか。どんなにつらい心の傷みも日がたてば薄らぐようにと、神様が与えてくれる妙薬とのことである。この薬の名を教えたのは、私を見かねた母で、急逝した妻の葬儀の席であった。わけ隔てなく神様は同じ薬を与えてくれたはずなのに、効き目は疑うほど遅く、法事を重ねるうちに一年はあっという間に過ぎたが、効能は一向に現れなかった。

 生活の一部始終が、健在であった頃の妻との思い出につながり、悲嘆の症状は深まるばかりであった。過敏としか言いようのない制御不可能な感情の高まりは、二人がかかわったものを見るたびに、あるいは聞くたびに、涙となって所かまわず現れた人前では平常心を装うのだが、一人になるとまるでダメで、妻とのこと以外にはなにも思いゆかなかった。そんなとき仕方なく書きとめた歌のようなものがいくつか残っている。

 みまかりてなほ美しきその人は季節外れの花埋みのなか

 十二月というのに妻のお棺には幾多の花が添えられた。花に埋もれ、終いには顔だけ覗かせ、「それじやあ行きます」と話しかけるように安らかに目を閉じた妻がそこにいる。五十にならんとする妻を誰はばからず美しいと言えるのはこんな時しかないだろう。本当に美しいと思った。三回忌の法要もとっくに過ぎたのに、一人になって花に埋もれた妻の姿を思いだすと、やはり涙は流れた。

 うつせみの人われは……咲きそめし朝顔 なき妻の化身かと思う

 新盆を過ぎたある朝、深い紫と朝露を湛えた大輪の朝顔は、花の奥に入っておいでと私を誘った。そこは冥府の入り口で、行けば必ず妻に逢えると、一瞬ではあるが確かに感じた。しかし誘いに乗れない私はどうしようもなくて、万葉のふるい言葉を書き添え、二世を契った後ろめたさを感じながらこの一行をノートに書いた。

 セーターに残れる妻の黒髪のその一筋に涙流るる

 二年が過ぎた頃、そのままにしてあった妻の箪笥を引き開けた。そこには冬に逝った妻の白いセーターがそのまま仕舞われてあり、懐かしさにひろげてみると、セーターを脱ぐときにまとわりついたのだろう妻の髪が一筋残されていた。遺品を見てさえたまらないのに、その一筋が現世に残った微かな妻だと思うと、そのセーターを抱きしめずにはいられなかった。暮れゆく秋とともに悲しみも深まるばかりであった。

  こんな風だから薬の効き目は一向にあらわれず、途方にくれた毎日を暮らしていたはずなのだが、四年目の夏が終わるころ、「きみ逝きて、去りにし三年遠花火」という句のような一行がふとくちをついた。思えばその頃、気づかぬ内にあの薬は効いており、所かまわずの涙はなくなっていたのだ。これは自分にとっての中陰なのだと思った。

  中陰いわゆる四十九日は、仏教において、逝った人が仏になる日である。その日はまた、残された人が常の暮らしを取り戻すために、涙を絶つけじめの日として設けられた日でもあるのだ。このときやっと、自分にとっての中陰を自覚することができたのだと思った。もう絶対に三年前には戻れないという、なんともし難い自覚をである。あのときくちをついた言葉と感慨は、この一句に伏せることが出来たつもりでいる。

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