旬の竹の子                  
                                竹の子のわづかに育つ藪の音

 竹の子は、先っぽが竹落ち葉を押しのけて、見えるか見えないかくらいのときに掘り当てるのがよろしく、はっきりした筍の姿を地表に現したものはもはや手遅れで、堅くて不味いと聞いている。
私の住んでいる千里丘陵一帯は、筍の有名な産地だったらしい。そういえば、一昔前までは、あちらこちらに竹林の面影が残っていた。

  その頃まだ小学校の生徒であった長男Kの話である。今では想像もつかないが、小学生のころのKはきわめて腕白で、男の子らしい元気いっぱいのいたずらっ子であった。田んぼの蛙を追いかける、立ち入り禁止の池でザリガニや亀をつかまえる、近所の雑木林の探検をする、それらのことが彼の日課であった。思えばその頃には、子供達にとって理想的な環境が、そこら中にあったのだ。

 そのKが、ある日大きな竹の子を数本持ち帰ってきた。いつも誰かに叱られてばかりいる彼にすれば、今日は褒めてもらえるチャンスだと、意気揚々と凱旋気分で帰宅したに違いない。しかし彼の期待は裏切られ、母親にしこたま教育的指導を受ける羽目に陥った。

 立ち入り禁止の竹薮に入ったこと、竹の子を無断で失敬してきたこと、持ち帰った竹の子が処分に困るほど育ちすぎていたこと、その上、竹林の持ち主に追いかけられたとき、運動靴の片方を脱ぎ捨てたまま逃げてきたことが叱られる理由であった。父親の私にすれば、褒めてやりたいくらいの、実に微笑ましいいたずらであるが、躾を担当する母親にとっては、見逃せない所業に映るらしい。

 運動靴にはマジックで学年と名前が書かれていたから、運動靴から文字通り足がついてついて、後日母親は学校から呼び出しを受けた。竹林の持ち主が届けてくれたらしいのだが、母親は畏れ入って、その日のうちに菓子折りを持って詫びを入れた。懐かしい我が家の昔話である。
若竹のようにすくすく育つの言葉どおり、Kもとっくに成人し、今は人の親になって、我が子のいたずらを嘆いている。

 ところで、話は前後するが、最近テレビを見ていたら、伸びた竹の子も先のほうは結構おいしくいただけることが報じられていた。採りそこなって、根方はすでに竹になった長い筍も、竹の皮を剥せば先端部分は柔らかくて、味も同じだという。あの時それが判っていれば、Kの罪も少しは赦され、夕餉の食卓で褒めてもらえる場面もあったのではないかと思うと、なんだかおかしくて、懐かしい気持ちになったものだ。

 竹林はいつもサラサラと葉ずれの音ばかりで、竹の子が伸びる音など聞こえるはずはないのだが、土の中はきっと静かで、竹の子が腐葉土を押し上げ成長している音だけがするのだと、私は思うのです。


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