趣味と自己暗示                  
                                か青なる海より来たか初鰹

 ものの本によると、すべての芸事は若いうちからの修行が肝心だと書かれている。分野を問わず、現在活躍中のプロの生い立ちを見聞きすると、このご意見に納得できる。しかし、私のように還暦を迎えて何かを始めたいと思う者には、趣味じゃないのとわかっていても、ちょっと気になるご意見である。ま、いずれにしても玄人を目指すわけではなし、返り咲きとか狂い咲きてな季語もあるしね。頑張りましょ~。

 しかし、大岡信先生のご本によると、句の世界では五十、六十は駆け出しで、もっと齢を重ねて、人品が枯れなければ上等の句は作れない、と言うご意見もある。なるほどそれなら間に合うと考えて、都合よろしくそっちのご意見だけを拝聴し、精進することにした。

 それにしても、定年してからの俄か趣味に、俳句、写真の人気が高いのはなぜだろうか。私の常識はずれの鋭い直感と推測によると、この二つは何かの拍子で「名作が出来てしまうことがある」らしいのだ。俳句でも写真でもどちらでもよい、ちょっと出来栄えのよい作品を選んで、プロの作品と並べて置くとよくわかる。作者の名前を伏せれば、どっちがプロのものか案外見当がつかない。

 ためしにやってみた。著名な作家のあまり知られていない二十五句の中に、私の迷作二十五句を織り交ぜてタイプし、そのむかし文学青年らしき数人にご覧いただいた。なんと見分け正解率は六十パーセントを下回ったではないか。写真だってやれば多分同じような結果になるだろう。絵は下手くそ、文章なんてとんでもないと言う人たちでも、はじめてみれば何とかなるのが俳句と写真づくりなのだ、と示唆しているようでこの結果は大変興味深い。このためしは、これからも続けたい句づくり、写真づくりの励みのためには、実に嬉しいことだ。

 一句は、句づくりを始めた頃のもので、真っ青な海と、そこで成長した活きのよい、「ホントは見たこともない活きた鰹」をイメージしたものである。なんとすばらしい出来栄えではないか。ン?。もちろんわが暇人ご隠居句会でも選ばれ、先のテストでも私の作とは見破られなかった自己満迷作俳句の一つである。

 私の推論が正しいことは、概ねお分かりいただけると思うが、「俳句も写真も齢を重ねるほどに味が出るもの、下手するとホントに名作が出来てしまうかも」、という自己暗示的推論を励みにしつつ、日がな毎日?精進しているのであります。


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