| 花札のおもいで
梅の香をまとひていづる菅大社 |
| 幼少の頃の記憶である。鉄工職人の父は、職人仲間をうちに呼んでよく花札に興じていた。狭い家だったから、私たち兄弟姉妹は、賭場が立つたびに観戦したものである。「サンコシシダイマラムキシダイ」これは、父たちがよく使ったゲーム中の掛け声であるが、子供の私たちにその意味は勿論わからなかった。ただ母が、その掛け声を耳にするたび、男達をたしなめるのを不思議に思っていた。 いたしますよの意味である。マラムキは、いわゆる魔羅剥くであって、これをまとめると、「何度も繰り返し三光するぞ、まぐわうこともするぞ」となってしまう。つまり、「何度でも私は三光の大役をつくるのだ」の隠語的気合だったのだが、なんと下品な掛け声ではないか。そう気づいたのは、私が思春期を迎え、色気づくのと同じ頃だったと思う。 と言うわけで、それからというもの私は、時と場所をわきまえず、松梅桜と出会うたびに、必ずあの掛け声「サンコシシダイマラムキシダイ」がよみがえってしまう。ことに賀状の図案などの松とか梅が目に留まると、違わず思い出してしまうのが可笑しい。 あまりにも異次元で比べうる話ではないが、西行法師は伊勢を参拝した折、鳥居の前でかたじけなさに涙を流したと聞く。しかし、不埒にも私は、京都北野天満宮観梅の大鳥居の下で、小声のときは呪文のようにも聞こえた父達の花札の掛け声を思い出しているのだ。 おかげで私たち兄弟姉妹は、みな花札を打つことが出来る。我が家では、お正月の三が日、親族だけの賭け花札が許されていたが、父はその時にも昔の癖で、あの呪文を口に出しかけてやめることがよくあった。すでに呪文の意味を解読していた私たちは、父の下品さを軽蔑しながら、「サンコシシダイ・・・」が出ないかとハラハラしていたものだ。その後お正月の賭け花札は、我が家の楽しい年中行事の一つとして定着し、父母が年老いるまで続けられた。 父は一昨年天寿を全うしたが、そんな父のことを、恥じる必要のない普通の男として微笑ましくおかしく感じられるようになったのはいつ頃だったろうか、たぶん私が十分オジンになり、父が老人になりきった頃だったのではないかと思う。 |