| まぼろしの百万円 往生のその手の白きつい終の夏 |
| 亡き父の話である。傘寿を越えた頃から根気がなくなって、好きな相撲のテレビ観戦もしなくなった。耳が遠くなったことをはじめ、目に見えて身体機能が衰えたのが原因だろうが、口数も少なくなり、何をするにも億劫のご様子。親戚友人もとっくにいなくなったので、話し相手も母ひとりになってしまい、生活が単調になったのだろう、その頃から少しボケ始めた。 ただ、昔から習慣になっていた近所の喫茶店へのモーニング通いだけは続いた。世間様との窓口になって気が晴れるのか、ママさんが大事にしてくれたのか、とにかく楽しかったようで、それだけはやめなかった。その店にいる間の父は、見違えるほど快活であると聞いていた。話題はほとんど自分の若い頃と我が子の自慢話の繰り返しだったらしい。 ある日、その店のママから姉婿に電話がかかってきた。自分の子供たちの孝行話の成り行きで、息子達がくれた小遣いが、ほら、こんなにあると財布を見せたと言うのだ。見せるだけならいいのだが、百万円近いお札を出してテーブルに並べて自慢したそうである。他の客もいたので、何かあってはと注意を促してくれたのだ。もしものことが起こってはとの苦情でもあったろう。 いったいに、うちの親族は貧乏人が多かったためか、ぼけ始めると伯父も叔母も皆さんお金に執着した。むかしの貧乏がトラウマになって他界する間際に表れるとはいかにも侘しい話ではないか。 それから一年ほどたって父は他界したのだが、このお金の話については続きがある。母がそれを思い出し、狭い家中を探したらしいのだがついにその財布は発見されなかった。月並みな隠し場所を笑った家族に腹を立て、残された知恵を絞ってどこかに隠したのか、それとも冥土に持参したのかわからない。不思議なことにそのお金は今でも見つかっていないのだ。今年もお盆が巡ってきたので、仏壇に帰っているはずの父に財布の在りかを内緒で尋ねた。しかし応えはなく、さっさとあの世へ帰ってしまい未だに私の夢枕に立ってくれない。 父は夏の盛りに他界したので、お盆が来ると、お棺に納まった旅立ちの姿、とりわけその手を思い出す。あれほど力強かった赤銅色の鉄工職人の手は、見る影もなく小さく白くちぢかんで、私たちの悲しみをなお深くしたものである。 |