| 句と写真のひねり 団扇もて冥土の道も暑からむ |
| 定年退職者ばかりの写真同好会に入って、下手な写真づくりも楽しんでいる。句会と同様、月一で同好の仲間が集まり、持ち寄った作品を互選しあって自己満足を楽しむのだ。写真を始めて三十年というキャリアの持ち主から、定年したが何もすることがないから、と言う初心者まで所属している玉石混交クラブなので、レベルを問われるとややこしくなる。これも句会と写真同好会の共通点の一つなのだが、句作りと写真づくりにはいくつか共通するところがあって結構面白い。 句会と同様、月一の互選会に自作五点を持ち寄るのがきまりとなっているが、その場に季節外れの作品を提出すると、員数あわせの感を免れず、まじめさを問われているようで居心地がわるい。季節感を楽しむ俳句は無論だが、真夏の例会に梅や桜の写真では文字通り季節外れとなり、出来栄えがよくても評価は戴けず、ほとんど得票することはない。これも共通点の一つである。 私的な愛情の対象をテーマに捉えることを忌むのも、両クラブの共通するところである。そんな作品のほとんどは、アバタもエクボ的な可愛さや愛情表現に偏りがちで、作者の主観は、鑑賞する人に伝わらないものとして歓迎されないのだ。 句会では、作者の可愛い孫や愛妻のことを詠んだ句は、作者の独りよがりだとみなされ、よほどのひねりがないかぎり嫌われる。素人句会であってもそのあたりは厳しくて、孫や妻への愛情が見え隠れしているようでは、俳句のこころに反するものだと、達人は見逃してくれない。 この点は写真も同様で、孫や自慢の奥方の可愛さあるいは美しさを撮るには、かなりの演出と技巧とそれなりの厚顔さが必要となる。写りのよいスナップレベルでは、ひねりの乏しい俳句と同様、顰蹙ものとなってしまう。 父が土用のさ中に永眠したおり、式場があまりに暑かったもので「亡き父の棺に供えん京団扇」と詠んでみた。しかしこれでは読む人に、「私情が潜んだ親族への主観」をイメージさせてしまい、句づくりのタブーを侵してしまう。と気づいた自称名人の私は、後日ああでもないこうでもないと下手な推敲を重ねたものである。その結果、逝った父に大変申し訳ないのだが、もう一度消えてもらうことにして出来たのが「団扇もて、冥土の道も暑からむ」である。 音誦すると調子がいいからか、季重なりにはどなたも気づかず、互選会ではそれなりの票を頂戴した。自己満迷作句のひとつにしている。 |