| アノ感覚とソノ快感
春の波止つれなき魚と話しけり |
| 釣りは子供の頃からの趣味である。ただし、流行りの大げさなものではなくて、近くの川や漁村の波止で小物を相手にのんびり楽しむ程度のものだ。「鮒に始まり鮒に終わる」の言葉どおり、いろいろやってはみたが、結局はキスやメバルの小物釣りに落ち着いた。しかし、いったい男達はなぜ釣をするのだろうか。冷蔵トラックが行き交い、生きた魚さへ店頭に並ぶ昨今、まさか新鮮な魚を食べたいからではあるまい。 仕掛けに工夫ができる、というのは、釣が男と相性がよい理由かもしれない。釣具屋に行けば、釣り人にしかわからない道具や仕掛けが五万とある。その五万を組み合わせて、自分だけのオリジナルな仕掛けを作る楽しみは、多分女達の知るところではないだろう。 男達だけで楽しめるから、という観点はどうだろう。飲み会もカラオケも、男だけではちょっと寂しい気もするが、そんな集まりには、それなりの楽しさ、気安さがある。これは、理由のひとつになるかもしれない。 では、海が眺めたいから釣りをしているというのはどうだろう。唱歌に「月はのぼるし陽が沈む」という一節もあるが、ただその大きさを眺めたいから釣りに行く、という連れもいないではない。当然彼は、大物を逃がした話や道具自慢に乗ってこないから、釣行仲間ではあるが、趣味仲間ではないことになる。探せば海を眺めたい女もいるだろうから、これが男たちの釣をする理由になるのかどうか。 ま、釣り仲間に問えばいろいろ理由をつけるだろう。しかし私の場合は、理由はきわめて単純である。釣れたときの、手に伝わるアノ感触がたまらないのだ。魚にとっては迷惑千万な、命がけの抵抗に違いないが、魚がかかったときの緊張をともなうアノ 快感は、釣り人だけにしか味わえない蜜の味だと思う。 では、ソノ快感を言葉で説明してみろと言われたらちょっと困る。アノ快感は、すぐ口に出せるものではないのだ。しかし敢えていうなら、「言語道断にして空前絶後の快感」というような四文字熟語が該当するかもしれない。イラチのあなたが「それでもわからん、口語で言え」というなら、「ちびりそう、いきそう、死にそうよりもっと気持ちがいいのです」としか、私には答えられない快感なのだ。 そんなわけで、最近若者の間で流行っているバス釣なるものは、アノ気持ちよさだけを味わうために特化した釣り趣味なのかもしれない、と思うようになった。となると、釣即放のルアーフィシングの求めるところは、「釣りをするわけ」の重要な理由のひとつになってしまうのだ。われわれ骨董的釣り仲間は、お魚に失礼ではないか、あれは外道だと、糞味噌にルアーフィッシングを否定してきたのだが、そろそろ改めねばと、自己矛盾の中にいる今日この頃なのであります。 一句は、まだ風の冷たい早春の波止で、アノ快感を味わいたくてじっと待っている私が、ツレない魚に「釣れてよ」と話しかける一景を詠ったものであります。 |